映画「サンシャイン2057」 [VISUAL&ARTS…観る。]
原題 SUNSHINE (2007 イギリス 20世紀フォックス)
監督:ダニー・ボイル 主演:キリアン・マーフィー
♪ Sunshine on my shoulder makes me happy(by John Denver)
猫でなくても日向ぼっこは幸せな気持ちになれる。
日焼けは嫌だが、夏場、冷房で冷え切った身体を容赦ない日差しのしたに投げ出すと、ジリジリと肌を焼かれることに快感すら感じることもある…私だけかもしれないが。
地球上の生きとし生けるもの総てがなんらかの恩恵を太陽から得ている。
太陽は命の父であり信仰の対象でもある。
物語の舞台は「近未来」。たぶんリアル感を出すために必要だったのだろう。50年後の未来と言うことに意味はない。現在の天文学では太陽の寿命はあと50億年と言われており、黒点の増減により地球環境への影響はあるものの、本作での設定のようにだんだんと非活性化で温度が下がる以前に膨張して熱による破滅がまずやってくるだろう。しかし、この物語のSFとしての寓意はそこにはない。
冷え切った地球からの太陽への眼差し。欲求。命を育むものへの希求がある。
太陽の寿命を少しでも永らえるために人類の文明科学の粋をもって作られたプロジェクト、そしてその宇宙船とクルーたち。使命を果たすことを何より優先する若い優秀な科学者たちである。決して帰り道の保障されていない彼らは、どこか諦めのような悲壮感を隠しながら自らをヒロイズムで奮いたたせているかのようだ。
年長の精神科医は日に日に近づいていく太陽の光を求めてデッキに立つ。フィルターをギリギリまで解放し、火傷と言ってもよいほどの日差しを受ける。焼け死ぬことが本望か、と思われる船外活動時の事故をはじめとする処々のシーン。先行して行方を絶っていた宇宙船のクルーの末期。そしてその亡霊とでも言える存在。
クライマックスにおける太陽の炎と対峙する主人公の表情は、悦楽にも似たものが感じられた。
彼らが恐れていた「太陽に向かって落ちる夢」、実のところ「太陽とひとつになる」ことへの強い願望の裏返しだったのではないだろうか。
観るひとの数だけ解釈がある…とは監督並びに出演者の弁である。
私なりの勝手な解釈をしても許されることだろう。
… … …
ちょっと設定的にブラッドベリ「太陽の黄金の林檎」を思い出し、読み直してみた。
こちらのクルーたちは、短編でもあり、もっとドライだ。目的が「帰る」ことであるという違いはあるが、使命感に諦念を漂わせてはいない。合わせて読むと、映画のタイトルが「サンシャイン」であることの意味が引き立つことだろう。
短編集。画像の帯にあるのはまた別の映画「サウンド・オブ・サンダー」。
↓手元にあるのはこちら。
- 作者: レイ・ブラッドベリ
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1976/01
- メディア: 文庫
追記:DVDでます。
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